よなご映像フェスティバル2011トーク&表彰式

グランプリ・・・・・「4月 April」監督:佐藤健人

仕事を辞めた僕は主夫になった。代わりに妻が働きに出た。次の春、娘が幼稚園に入園した。父と娘の生活の記録

準グランプリ・・・・・「池の下の帝国」監督:杉山智子

【ひっそりと息ずく草(ゆうわく)に誘(いざな)われて、今、3人の運命が交差する。】小さな村の診療所に派遣された女医・庄司玲子。村長・浅田の案内で訪れた診察室で、庄司は1冊のノートを見つける。それは昭和45年当時の診療所の医師・服部による日記だった。そこに綴られる奇妙な草の話。草を巡るそれぞれの思惑とは・・・。


かわなかのぶひろ賞

「頑張る地域情報発信プロジェクト大山町種原地区ホタル育成活動」監督:米子松陰高校放送部


鈴木卓爾賞・・・・・「ROCK IN 軽トラ」監督:藤山宏

【愛と確執の本気(マジ)バトル。ROCKな父娘はベタベタしねぇーぜ!】 「娘と喧嘩した翌朝の同伴出勤(通学)は、その微妙に狭い空間が2人の和解を早める軽トラックが良い。」お互いの想いを素直に表現することができないままの父娘は娘の高校卒業、故郷からの旅立ちの朝、軽トラで津和野駅へ。これは冬から春へと移ろう日々を、津和野のROCKな父娘が走り抜けた愛と確執の50%実話だ!


とりアート賞・・・・・「三地直装イワシマン~夢~」監督:竹内丈

三地直装イワシマンとトリピーのゆるゆるコラボ!宇宙Gメン・ショーンの極秘任務とは一体何か?
映画祭のイベント写真

鈴木監督

映像の授業風景1

映像の授業風景2

映像の授業風景3

映像の授業風景4

会場はステージ上!

受賞の様子1

受賞の様子2

受賞の様子3

受賞の様子4

受賞の様子5

佐藤監督グランプリ!

受賞者の皆様

米子高専の皆さん

島根大学の皆さん

沢口さん

水野さん

司会ありがとうございました!

打ち上げ交流会

よなご映像フェスティバル2011講評・・・・・鈴木卓爾審査員

映像的なテクニックよりも、作品からエモーションを感じる瞬間と、見終わった後の余韻を、選定基準にさせていただきました。

1・福留修平 『意味の無いもの』

音が面白かったです。くぐもったギターのストイックなリフに身を任せて観る事ができました。岡本太郎の「芸術は爆発だ」かな?みたいな声と、猪木の「馬鹿になれ」みたいな音がずっとしていて。

アニメーションを現実の中でドキュメントして行く、という手法が一部使われていました。そこをもっともっと見たいなと思いました。

デジタルの映像の時代になって、編集段階で映画が新たな様相を幻影として作り出す事が出来る時代になって来ましたので、こういった手法は、もっと未開拓の可能性を秘めているのだろうなと思います。

2・藤山 宏 『ROCK IN 軽トラ』

ミニマルに毎朝繰り返されつつも、一つとして同じではない、親子の文句を言いあうやりとりが面白かったです。

お父さんも娘さんもジャージを着ている姿は、どこか似通っていて、私達って何をそんなにぶつかる事があるのでしょう?と言った事を私も考えてしまいました。

みんな家族に期待したり、甘えたりしたいんでしょうね。いがみあっているけど、どちらかというと柔らかく描かれたやりとり、お父さんのキャラクター、無言で生意気な娘のキャラクターが面白かったです。

腹巻きと手紙を、助手席で発見するときには、あまり独り言の様な説明の台詞を入れないで、もっと無言の間をひっぱって、それまでと違う余韻のようなものを作り出す事も出来たのかなと思いましたが、あくまでROCKな親子なのでしょうね。

ビートを刻むように、最後まで走り抜けて終わりました。お母さんが「汽車がどうのこうの」って言ってて、「え、汽車?」と思ったら、本当に蒸気機関車が出て来たので、驚きました。

すなずりのギャグは笑いました。もっともっと親子だけにしかないような小さなギャグを繰り返し、あの日々の中で、発展させても面白くなったのでしょうね。

3・赤羽健太郎 『U(ユー)』

土を掘るという行為は、自主映画の定番のようなモティーフです。悪い言い方をすれば、ありがちです。

それゆえけっこう、映画で穴を掘り出したら、要注意なのです。

幻影の娘さんと、穴堀りさんの間の、言葉の掛け合いが、面白かったです。言葉と身体性に、面白い資質を持った作り手さんだなと思って見ていました。それゆえ、オチの空き缶の宇宙船は少し安易に感じてしまい、残念でした。

もっと驚く様なものが、埋まっていて欲しいなと思ってしまいました。でもそれも具体的に驚く何かの事象ではなく、あくまで見せ方の問題だなと思いました。穴を掘っているのだから、眼下に何かを発見するのかなと思いきや、上空にそれが現れるのは、これは実は、けっこう大きな変調なのだと思うのです。

俳優さんのお芝居の本気度や重さと、それを軽やかに編集し見せて行くまなざしの間の距離に、独特の映画の観点が存在している気がしました。

4・山口勇貴 『1+1』

二人の行く末を、説教している塾の先生みたいな人が出て来るのですが、一体誰なのでしょう?

「1+1=2」じゃつまらなく、「1+1=1」であったほうがいいじゃないか、と塾の先生みたいな人が言うのですが、私には、それも余計な他人のおしつけのように感じてしまい、考えを押し付けられている様な気持ちを持ち続けてしまいまして、それが不自由でしたが、そういった狙いがあるのかもしれないですね。なにか大きなどんでんがえしがあるのかな?と期待してみていたところ、そういったこともなく、終わってしまいました。

ただ、「強烈なものを観た」という感触はしっかり残りました。考え方にはちっとも賛同できないのですが、強烈でした。説教する男の人相が、なんだか強烈だったのです。音楽は既存の楽曲を使っているようでしたが、音楽を多く使い過ぎているのではないか?と思いました。

図書館での二人の向かい合うモンタージュと、部屋での二人の向かい合うモンタージュの意図的な、反復性でのずれを狙う感覚を、わかりやすく、タイトルの公式で示して行く方法は、嫌いではなかったです。

あと、男の子の芝居の儚さ、女の子の顔なども、忘れられない味わいを持っていたのは確かです。

5・大畑喜彦 『左鎧屋台』

うどんの出前をしながら町の人々の困り事を手伝うお兄さんと、左鎧屋台(さぶみやたい)でずっとうどんを作りながら電話をしているおじいさんが、同じ場面に一度も一緒に出て来ない事が、新鮮で斬新でした。

二人の役割が同じ目的の中で、きっちりと分けられており、五郎ちゃんという人の行く先々での事件が、活劇となっていることが見事な見せっぷりだなあと思いました。

おじいさんが電話で喋る言葉が、本作品のテーマにも触れてしまっており、言葉でまとめている感じが、ちょっと、映画の、聴く部分が、損をしてるような気持ちになったのは、残念でした。それが大変惜しかったように思いました。

うどんを出前する事と同時に、集落の役に立つ出前持ちと町の人とのいとなみを、あまり説明を聴かないで、ただ見ていたかったなと思いました。出前のお兄さんキャラクターも、うどん屋のおじいさんも、せっせとしてる感じが面白いなと思いました。

おれおれ電話を受けて、五郎ちゃんに、お金の振込をお願いする、おばちゃんが、良いお芝居をされていたと思います。

左鎧と書いて、「さぶみ」と呼ぶ、地名は初めて知りました。

6・豪田トモ 『うまれる 愛の讃歌』

最後に、満を持して卵子に入って行くシーンで、どんでんがえしがあるかな?と期待をしたのですが、それはありませんでした。

精子は、本当に確率的に奇跡的な状況の中で、卵子と結合するんですね。私も話には聴いていたのですが、こんなに過酷なんだなあという事を思い知りました。

ほんとに、何億もの精子が旅をして、どうして一匹だけが受け入れられるのか?本当に何が起きているか?私達のことでありながら、私達は知る由もない事に、生命の神秘を思いました。案外この映画のように、歌を唄ったものが受け入れられているのかもしれないですね。

精子と卵子に人間的な、或は、男性女性分類的な意味をつけたうえでの演出作品とするならば、顔を描くという発想はなかったのでしょうか、顔を描いたらいいなと思いました。精子の登場人物を全て女性的キャラで、卵子を男性キャラにしてみると、更にユニークになったかもしれないですね。

7・杉田愉 『花に無理をさせる』

音楽とナレーションと映像とが、作品の大きな構成要素になっていたと思います。それゆえ、音楽の存在感と、ナレーションの存在感が、作品の中でかなり大きかったように思います。

ナレーションと音楽が、映像を牽引していくばかりではなく、映像が、ナレーションや音楽を牽引する事ってあるのかな?というようなことを考えながら、作品を見させていただきました。

ふとこれは、男性の存在しない、或は、男性が消滅してしまった世界の話ではないか?とも、作品を見て印象を抱きました。

妄想ですが、この映画の登場人物の女性俳優さんの誰かが、この映画の監督とこれからも映画の作業で共同戦線を張る事があるとするなら、映画の作業を更に発展的に、なまなましく互いの影響関係を結べる事が起きるとするなら、思いもかけない映画の奇跡に迫って行くようなこの先があるのかもしれないなと思って見ておりました。

そういうことが起きる時が来た時に、そのことを見過ごさない、敏感さが映画の現場に起きますように、と祈っております。

8・佐藤健人『4月 April』

四月から四月、家族の中に当たり前にカメラがあり、そのカメラは特に偉くもなければ高級でもなく、家族の誰もがカメラマンであり、被写体であり、どちらもどちらよりも偉いわけでも高級なわけでもない。家族についての映画『4月 April』が、そんな中から生まれた事は、素敵だなあと思いました。

まるで携帯電話のようにそこにカメラがあり、ふいにいつでも映像として記録出来る時代になりました(それが、良いか悪いかは、別の話として)。

撮られる事はモデルとして意識しつつ、カメラを構えたらごく素直にぶんまわす娘さん。自分のいらだちをカメラに報告するお父さん。本来はそこに家の中心としてかまえているお母さんがいるのかなと思いきや、この家族の場合は、事情があってお母さんが不在になったことで、この映像を、映画として決定してゆく事になる、ある流儀と運動とが芽生えてるように思えます。

世の中の全ての家族が、カメラさえあれば、このように生き生きとした時間や空間や、また映像の運動が撮れるのでしょうか?私はそこらへんはよくわからないのです。ですが、どうにかこうにか、カメラが偶然あり、互いに向かい合おうとする家族がそれを記録している事に、感動を覚えました。

最後の、お父さん自らがモデルとなって、自分にカメラを向けたシーンに、ある緊張がありました。映画ならではの緊張の空気があり、そして、窓の外の光景への、まなざしをしっかり持ったズームインのショットに移行していきました。

私はそこで息を潜めました。この緊張を見逃してはなるまいと思ったのです。ですが、そこに娘さんの姿がインサートされました。撮る自己のまなざしはそのようにして消滅し、他者の事情が提示されました。私は一瞬、少し惜しいとも思いました。どうしてそういう編集を選択されたのかを、作者の方に伺ってみたいと思いました。

私は、この作品は、自己と他者のために撮られた映画だなと感じました。

かわなかのぶひろさんの言うように「個人の映像は言葉である」ならば、この映画は「個人の映像はラブレターにもなりうる」可能性を大きく見せてくれていると思うのです。

9・樋野真奈花『ミミちゃんとおかしの国』

お菓子のイメージが、世界観のなかに溢れたアニメーションでした。イチゴの断面をした魚が、クリームソーダの海の中を泳いでいたりして。雲の上に現れたモンスターは、蒸しパンなのかしら?素敵だなと思いました。

もっともっとお菓子の触れた時の感触や、それぞれの音なども、凝りに凝って、イメージを更に大爆発させたような、お菓子の国になってもいいのじゃないかなと思いました。

飛躍がもう少し、お菓子のもつデモニッシュ(悪魔的)なところに触れてしまうとか、発展できるなあと観ましたが、丁寧に作られているなあと思いました。

10・米子松蔭高校放送部『大山町種原地区ホタル育成活動』

ホタルを育成するのに、川の水草をどのように、どの程度、掃除すればいいのかをもう少し知りたかったなと思います。あの川に住む、他の生き物なども、さらりと見せて欲しいなとも思いました。

最後にホタルをもう少し美しく見せて欲しいなと思いました。闇夜に光るホタルの映像のあと、白く画面がファイドしてしまい明るくなるのが、残念でした。ホタルとホタルを育む夜の闇の魅力を、損なっているのではないか?と思ったからです。

ホタルの映像については、勝負をかけて欲しかったところですね。大山の種原地区で僕もいつかホタルを眺めてみたいなと思いました。ドキュメンタリーとは、作品の企画意図とは関係のないところで、撮れてしまった映像が、個々に持つ魅力を発揮してしまうものであったりすることがあるのですが、インタビューを受けている男の子がまさにそうで、魅力的でした。

11・谷口祐介『もんじゃ焼き 江戸ッ子』

山陰にもんじゃは、不意打ちでした。もう少し近くに寄ったかたちで、鉄板の上に浮かんだ、もんじゃの島々を眺めたかったなと思います。

どのような素材や色が泳いでいるのか、つぶさに見たかったです。出来たてのもんじゃを食べると、どのように口が反応するかなども、見たかったです。熱いのか?はふはふして食べたいのか?お店のおかみさんが、どのようにもんじゃを仕込むのかも、興味が湧きました。

もんじゃが好きか?と自分について考えた事が今までありませんでしたが、もんじゃを囲んでいる一家団欒のお客さんの風景が、幸せそうに見えたのも、僕はもんじゃ好きなんだろうなと思いました。東出雲に行ったら、「江戸ッ子」行ってみたいなと思いました。

12・竹内 丈 『三地直装イワシマン~夢~』

新しい映像と、少し劣化した映像とが、交互に現れて、それが一昔前の戦隊ヒーローものの雰囲気をうまく引き出しているなあと思いました。昔の怪人図鑑のアミヤキの写真印刷の怪人像を眺めていた子供時代を思い起こしました。

イワシマンが、海の中から現れる逆再生の演出は、おおと思ったのですが、イワシならではのイワシマンの生態など突っ込んだ所も、もう少し触れて欲しかったなと思いました。イワシらしさといいましょうか。

戦隊もののルーティンを丁寧に踏襲する演出が心地よく感じました。トリッピーの扱いについても、思わず顔がにやけてしまうものでした。

13・松野佑哉 『Chaos Walk』

モデルさんの表情が、長閑で可愛いpvでした。「覆水、盆に返らず」な映像が小刻みに作られていて、スタイリッシュだなと思いました。PV作品を見てるといつも思うのは、音楽が映像を牽引してしまう運命のようなものを、突然反転しうるような、映像が音楽を牽引してしまう瞬間は、果たしてあるのか?ということです。

映像単体ではなしえぬ、音楽の持つ心地よさですが、反転して映像を感じる時間が、pvのなかに不意打ちのように訪れたりしても、面白いのではないか?と感じたのです。

14・安田哲  『午前4時』

しずくの音を、どこまで引っ張るか?の緊張感を持って、観ました。蛇口のショットで示された、しずくの音が、「さっき」という空間のイメージを現在に響かせ、固定化させつつ、映像は常に前に前に更新されていく。

しずくはまるで時計の音でもあります。その編集で出来た、音と映像の一本道に、映画的な可能性が潜んでいるように思い、期待感で緊張しました。タイトルが、時間を示すものであった事も、音の響きを意味する意味を持つものかと感じました。

ですが、手が蛇口を止めた後、何かが起きたわけでもなく、私には結構不用意に、蛇口を止めてしまったようにしか思えませんでした。

私は、音が止むときこそ、決定的に何かが変わるべきではなかったか?と思いました。そのための音であり、音のしていた過去ではないか、と思うからです。

そういうふうに映画を観たいなと思ってしまうのです。

ここで思い出すのは、同じ時間を冠したタイトルの作品「4月 April」には、冒頭の桜と、エンディングの桜を視るまなざしの間には、何かの変化が、感じられるものがあったという事です。

具体的に何が変わったか?ということが大事というよりは、おそらく、時間の後、何が隔たったのか?(或は)何を経たか?だけでもいいのかもしれないのです。そういった時間を感じたかったのかもしれません。

15・長崎武彦 『久手の空』

広島での米軍による新型爆弾の報を、郵便配達夫が長男の書簡を持って来て話すのですが、同じ場面のなかで、母が長男の手紙から特攻の決意を知るということと、新型爆弾の話題のことが両方同時に立ち上がってきてて、ぶつかっている印象を受けました。

母親の慟哭が、長男の決意に対するものか、原子爆弾によっておそらく長男がむかえた死に対するものか、ここでは、少し観る側が迷ってしまう印象を受けてしまいました。

演出側の焦点のあてかたが順番に描写されていくともっと良かったなと思いました。

それらが一貫して妹が見た視点として、視えて来るといいのかなと、観させていただきました。

長男を演じる俳優さんの、台詞を大事にしながら静かに発声する演じ方に、心を持って行かれた感があります。にぎりめしを汽車の中で開くショットが、母親の心配や、さまざまな諦観を持って、胸に迫りました。

丁寧に考えられたシナリオだなと思いました。ひとつひとつのやりとりや、お国訛りが、とても素朴ですし、心に残る描写になっておりました。

空はひとつだという話が会話に出てくるのですが、さりげないぶん、後から響いて来る印象を持っています。

16・倉田愛実 『Holy Grail』

これは、とても不思議な謎の多い一編でした。無理矢理言えば、デヴィッドリンチの映画のようでした。欧州風味の黙示録的なものという受け取り方をしましたが、ある取り返しのつかない間違いのようなあの場面のあたりから、ふいに現在の我々の状況と重ねて観てしまうこともできるようでありました。

ですが、これはきっと、どんな風に受け止めても自由な作品なのだと思います。それでいながら、私の中では、固定化した強いイメージが残りました。私はもっと、この町のことを観ていたいなと思いました。森をさまよう旅人の前に、小さな人々が燭台を手に通りかかる導入は、大変素晴らしいなと思いました。私もこの町へ行ってしまうでしょう。

17・鈴木洋平 『もの、物、者、もののけ』

会話のやりとりが、楽しかったです。会話芝居だけで持って行く所かと思いきや、最後にちょっと不思議が。もう少し、欲張った不思議を見たかったなとも思い、でもこのくらいの淡白さは嫌いではないなとも思いました。

撮影については、単調な座り芝居なので、普通は飽きてしまう事になりそうですが、やはり演ずるお二人の芝居の上手さに引き込まれました。

その上で、演出的な見せ方をもう少し挑んでもいいんじゃないかな?と思いました。
ものという概念が、どう転じて行くのか?そこがもう少し見たかったです。

二人の1ショットのカットバックでつないでいるリズムから、どう逸脱して行くのかというところに、もの、という語呂遊びのタイトルとのランデブーぶりを見たかったのかもしれません。

18・杉山智子 『池の下の帝国』

池の下に住む水棲人ってどんな暮らしなのかな?と考えました。

亀は水の中に暮らしたり、土の上で暮らしたり、のんびりと年を重ねます。そういった生き方に憧れを抱きます。でも我々人間は、知恵を浅はかに利用しますので、こういった気長な暮らしの引き換えに失うべきものを、手放そうとは考えないのでしょうね。この世ならざるものとは、この世を諦めきれぬもの、という言い方も出来ると思います。

まるで、ジョン・カーペンターのホラーを観ている様な感触の映画でした。一方から見ての脅威は、また一方の気持ちでは毅然とそこに立ちつくしているのであり、そんな立ち姿が、映画の隙間からふいに現れる。そのタイミングといい、音楽も監督が作曲されているというところまた、ジョン・カーペンターのようでした。

クライマックスで、先生が現れるショット、まじでゾゾ気が走りました。

その上で、私も池の下で暮らしたいなと、なおも願望を抱きます。

ただ、人の欲望までは泥の下には持って行けぬものでしょう。

君はどちらを取るの?と意地悪く試されているような、不気味に白い、池の中の人の描写は秀逸と思いました。

是非、次の作品やもっと長い作品が観たいなと思う作家の登場でした。

19・マルチーズ『ミソジのミソギ』

ミソギの大事な夜の映像でした。個人が、やったる!って挑んでる意識や、意志とは裏腹に、映像というものは独立し、残酷な視点を持っていたりすることができるので、そういうところがこういう個人映画の個人の自意識を越えてしまう映画の奇跡を呼び込む醍醐味でもあるのですが。

どんなことがおきるのか?というのを見たかったのですが、作者のコントロールからはあまり逸脱をしなかったなというのが残念でした。

あの浜に、警察が現れて怒られる、とかいうのが撮れていたりすると良かったのか?いえいえ、むしろ、人間ならざるもの。波を映し出すあの埠頭に立った細い街灯、あそこに映画のヒントがあるような気がしました。

そういったものを気にしつつ個人映画を撮るのは大変なのですが、頑張って欲しいと思います。
馴れ合いではなく、自意識やコントロールを越えること。映画にしか出来ない、その一瞬さえ掴めれば、そのあと続く日常とも、映画は拮抗しつつ、ミソギ足り得る可能性があるのではと思っているのです。

20・沼田 友 『ぶらりん』

何故、画面がさかさまなのか良くわからなかったというのが正直な所です。

宙ぶらりんな主人公の心を現しているというのでもなさそうだなと思ったし。

ある種の、放置プレイが成立している、先輩と後輩のSMプレイのような関係性としてみると、少し質が変わって見えて来る気がしました。

物語が、裏返るだけの何かアイディアなり、ひっくり返しが欲しかったように思います。

21・片岡けんいち『ゆらゆらX』

8ミリで撮影されたという本編を是非見たいと思いました。全員、子供出演の大人っぽいお話なのでしょうか。スリーピースの服を着た男の子が、ケーキを夢中で食べている映像に、ぐっと引き込まれました。

PV的な汚し処理は、大変スタイリッシュでかっこいいのですが、そのぶん、映像の滋養が抜け落ちてしまっている気がして、それ以上のこういった荒らした映像の肌触りから生まれて来る運動性というものが、あるのかどうか、私にはよくわかりませんでした。すみません。8ミリフィルムの映像というのは、古い、ユーズド加工的な価値観ではないところに、映画のマジックを私は感じています。

ぜひ、本編を見たいものだと思いました。

22・田中稔『tanaka movie #1』:3

二本足の人が転んで花が咲くところ、人と猫が駆けつけるところ、なにか打たれるものがありました。

全体的に運動が間延びして感じられました。そのストップしているようなテンポにどこまでつきあえるかなと思いましたが、私はやや長い、と感じてしまいました。

長さの中、退屈のなかにある豊穣さのようなものは読み取れず、申し訳ありません。

ただ、シンプルな線をずっと繰り返しのリズムで見続けていると、別の快感のようなものが、芽生えてくるのを覚えました。

それはちょうど音楽を聴いている感覚に近いものですね。

聴覚では親しんでいるミニマルな心地よさ、ピアノの音楽も面白いものでした。

視覚での、一定のリズムがそこに加わる事によって、眠気を感じました。

それは心地よさともいうものかもしれないですね。

映画としてみた時に、足だけの人が進む、遊ぶ、あの孤独の時間、そこへ猫くんの登場の唐突、あのような事件、そういったものがもう少し見たいと感じたのかもしれません。転んでいる人から花が咲くのを見る、人と猫、という関係は、先に覚えた孤独さの先に感覚をつなぐものではなかったか?と感じました。

別種の三者がどう、相まみえるのかが、この後半のテーマの様なものになっていくのかもしれないな?と先の事を考えてしまいました。猫と書きましたが、説明には狸とあり、見間違えてしまいました。私には猫に見えてしまいました。

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