よなご映像フェスティバル2010トーク&表彰式
グランプリ・・・・・「九月の鼠」監督:球根栽培(東京都・米子市出身)
「学校終わったら海に行こうよ」彼女の提案に、みんなは無邪気に賛同した。でも本当は知っている。海で彼女が何をするのか、本当の発案者は誰なのか。友情と裏切りの間で揺れる少女たちは、笑顔を浮かべて最悪の結末を出迎える。
準グランプリ・・・・・「魚に似た唄」監督:竹内泰人(東京都)
人形をワイヤーで天井から吊って、コマ撮りアニメーションしました。人形のサイズは魚1.4m、少年(大)2.4m、少年(小)1.7mです。壁、床、天井の直接絵の具を塗ってコマ撮りもしました。
優秀賞・・・・・「竹岡さんへの手紙」安田哲(東京都)
友人の竹岡さんへ宛てたビデオレターです。私の日常を報告しました。
優秀賞・・・・・「走りて睦月」醜悦舎(境港市)
"食人"をテーマに制作した作品です。言葉を用いた表現をできるだけ抑え、お面などを用いる事で人間的な部分を抑える事を目標としました。世界観と呼べるものを印象深くする為にアニメ的な演出やカット割り、8mmカメラを取り入れています。
かわなかのぶひろ賞・・・・・「たなピーの東京レポート」米子高専放送
米子高専放送部がNHK全国高校放送コンテストに参加するために実施した5日間の東京旅行の様子を1年生のたなピーがアドリブでレポートします。たなピーの天然なボケっぷりが見ものです。

冨岡プロデューサー×米子シネマクラブ添谷さん

かわなかのぶひろ氏×「ホテルニューキャラバン」波田野監督

「音色」伊田監督

「忘れた日」耳井監督×水野氏

審査員:かわなかのぶひろ氏

審査員:松本薫さんと冨岡邦彦氏

審査員:赤井孝美氏

審査員:冨岡邦彦氏

「たなぴーの東京リーポート」のたなぴー。受賞おめでとうございます!

「竹岡さんからの手紙」安田哲氏。優秀賞です!
<交流会>


皆さんお疲れ様でした。
よなご映像フェスティバル2010講評・・・・・かわなかのぶひろ(映像作家)審査員
開催三年目にして鳥取県総合芸術文化祭「とりアート」西部地区のメインイベントに選ばれることになった2010年の「よなご映像フェスティバル」。
公募部門も年とともに応募総数ならびに作品のレベルが アップして、今年は21本の魅力的な公募作品が米子市文化ホールで一般公開されることとなった。
DARAZ-FMの小川マスミさんと土井エリカさん掛け合いによる弾むような作品紹介につれて上映された21作品は、それぞれに工夫が凝らされていて、あえて順列をつけずに楽しんで観ていたい作品ばかりだった。
コンペティションの審査員というのは映像祭の最も不幸な観客といえるのではなかろうか…。
映像制作機器の発達、普及にともなって作品の技術レベルが年々向上 してきたことはいうまでもないだろう。
しかしそのことは、作品の内容をどことなく平版にしていないだろうか。
とりわけドラマに挑戦した応募作品の多くがテレビのようなカット割りやカメラワークを踏襲しているようで、作者ならではの描き方の発見には届いていないように思えた。
機器の発達は、映像をフィニッシュワークまでたったひとりでも手がけることを可能にしたのだから、似ることではなく、作者にしかできない映像へのアプローチを発見して欲しかった。
今回グランプリに選ばれた『九月の鼠』は、そこのことをじつに巧みに表現していて、審査員全員の高い評価を集めたわけだが、若い世代は先行世代が拓いた安全な道を歩いてはいけない。
プロのように撮ることよりも、自分にしかできない映像に挑戦して欲しい。
ピンポン狂騒曲 稲井健二 9分59秒
卓球ならぬドアチャイムのピンポン~がテーマ。
ある日ひきこもりの フリーターマキコの部屋のピンポン~が鳴る。
応答しても返事がない。ピンポン~が返ってくるだけ。
そんなやり取りのうちにやがて「あの~、押してもいいですか?」と気弱な声が返って連続的にピンポン~が鳴る。
ピンポン~(!)マニアなのだ。
観る側の意表を衝いたこの理不尽な世界がいい。
もっと押したいという声に「もう1回ぐらいなら」とマキコが応え最後の一押しの後「ああ、良かった…」と去って行く設定もなかなか。
後半の友人をカットして、ドア越しのピンポン~だけで良かったね。
運命 出雲北陵高等学校 美術部 2分10秒
花が咲き、咲いた花の中に都市が現れる。
高校美術部ならではの可憐なアニメーション。
都市の車は排気ガスを吐き出し、工場の煙突からはも煙がくもくと立ちのぼる。
カラスはゴミを食い散らかし、人間はポイ捨てをし、咲いた花を枯らしてしまう。
せっかく美しい花が咲いても公害が枯らしてしまうというメッセージなのだが、描かれる公害のイメージがいささか図式的ですね。
作者たちの身近にある問題に引きつけて、花を枯らす原因をイメージにしたら素晴らしい作品になるでしょう。
殺陣のおもしろい見かた 佐藤英二 8分5秒
海をバックに主人公が時代劇の殺陣(タテ)について、新国劇が「殺陣」という文字を創始した、とその由来からつぶさに解説する。
いわば殺陣マニュアルというべき作品。上段、正眼、下段などの型の実際。殺陣と実戦のちがいを、あるいは峰打ちの解説や、侍の殺陣、やくざの殺陣、素人の殺陣などじつに詳しく解説されてゆく。
時代劇ファンには必見の作品といえるだろう。作者はその道の人なのだろうか。
ロスアンゼルスから応募されたというこの作品は、作品よりも作者への興味が津々。
次回は作者の人生篇、いかにして殺陣に魅せられたかを是非とも期待したい。
トントントン かやのしほ 1分
画面にはドア、意匠を凝らしたさまざまなドアがつぎつぎと開かれてゆく。
ドアを開くとドア、それを開くと別のドアというふうにドアが連鎖して、最後のドアをノックするとはじける花火。
そこには万華鏡のようなめくるめくラブリーな世界が開かれている。
写真によるこのアニメーションを手がけた作者は、東京で活躍する米子出身のアーチスト。
ビデオカメラがないのでケイタイで撮影したという。
フランスにはケイタイによる映画祭があって、かつて日本でも開催されたけれど、作者はケイタイだからこそ自分の気持ちに密着した作品が創れることを証明してくれた。
もちものひとつ うしこしだいすけ 3分
海辺で男が3人、ケータイあれど、電池なし。
タバコはあるけどライターなし。
なんだか言葉遊びのような会話をしているイントロダクション。
やがて街頭インタビューがはじまる。音声が聞き取り難かったのでなんについてのインタビューなのか判然としないが、どうやら無人島に何かひとつ持って行くとしたら…?というインタビューだったらしい。
なかなか魅力的な設問でどんな答えが返ってくるのか惹かれるのだが、「親友」と書いたメモを示して終る。
そうか、街頭インタビューではなく、仲間が大切であるということを照れながら言っているんだ。それもアリか…。
うまれる 豪田トモ 8分21秒
作品はタイトル通り。被写体は救命ドクター夫妻。
長年不妊治療を受けて、ようやく妊娠したのも束の間、流産というプロセスをたんたんと写真で捉えたイントロダクション。
もう子供は授からないものとあきらめていた夫婦にふたたび妊娠の朗報。
その出産現場にカメラが立ち合う…。
親族一同に囲まれて新しい生命が誕生する瞬間は、解ってはいても感動的だ。
この作品が入賞しなかった理由は、これが長編ドキュメンタリーの部分であることと、すでに劇場公開が決っている作品であること、そしてプロとして活躍している監督に失礼という配慮からにほかならない。
dance 磯部真也 6分
室内の情景がアップでたんたんと映し出される。
透明感のあるその画面がかすかに明滅している。
人によってはカメラの故障と思うかも知れないが、やがてキッチンに立つ女性の姿が、シャッターがブレて流れた写真のようになるところで、ああ、これはシャッターを開いたまま数秒の露出をかけたバルブ撮影という手法によるものだということが解る。
この作品は8ミリで撮影されている。
女性の部屋のなにげない日常を数日にわたって一コマに数秒の露出をかけて撮り続けるというこれは途方もない根気の産物だ。
それが肉眼では捉えられない不思議な世界を見せてくれる。
君への切符 中島裕作 8分10秒
愛し合っていた恋人に別れを告げる男。
新しい恋人ができてしまったのだ。
彼女はあきらめきれずに彼を尾行。
あろうことか彼は現実の女性ではなくJRの切符販売機で微笑むアニメキャラに恋していたのだ。
落胆した彼女は酒浸りになるが「本命の女になる方法」という雑誌の特集を見てトレーニングを開始する。
途上、彼女は突然の交通事故で死んでしまう。
関西方面の観客なら馴染みの自販機キャラらなので納得できるそうだが、ストーリーのために突然死をとりこむ強引さにぼくは感情移入できなかった。
俳優も撮り方も申し分ないけど、お話しが面白ければいいの?
九月の鼠 球根栽培 10分
高校の下駄箱から縄跳びのロープを取り出してグラウンドへ出て行く4人の少女たちを捉えた冒頭のスローモーションのショットを見ただけで、あ、この作品はストーリーではなく映像で描こうとしている!と思えた。
物語りがあるわけではない。ぴょんぴょん跳びながら線路際を、田舎道を走る4人の躍動感と、フィルムで撮影したような色彩の厚み、オートではないフォーカスや絞りのコントロールが観る側をぐいぐい画面に引き込んでゆく。硝子のおはじきや転々と弾むボールなどの挿入イメージも少女気分を伝えてくれる。
台詞ではなく映像の力を見事に発揮した作品。
不況の今こそ… 米子松蔭高校放送部 8分
日野郡日野町にある「金持神社」。
その名にあやかろうと各地から やってきた参拝客に高校生がインタビューする。
着眼点はいい。ぞくぞくと詰めかける参拝者をコマ落としで捉えたり、願い事を書いたたくさんの絵馬をアップで捉えるあたりはタイトルをズバリ画で表したようでとてもいい。
けれどもインタビューとなると、なぜか型通りになってし まうところが惜しい。
みんな金持ちにあやかりたいと来ているのだから、高校生ならではの「自分の言葉」でインタビューをして欲しかったね。
絵馬に「部費を上げて下さい」という部員の願いを書いた最後のところ良かったよ。
clover(short ver.) 西村徹 9分52秒
ライフルを手に8歳の少女を人質にとって立てこもった青年。
警察に包囲されて逃げ場はないという緊迫したシチュエーション。
少女は脅えもせず青年に話しかける。
最初は苛立っていた青年も、一歳の時に母が死に父は失踪したという少女の悲惨な身の上話に投降を決意する…。8歳(とはとても思えない)少女のじつに達者な演技には唸らされるが、話しを面白くしようとするあまり、少女の身の上話はすべて嘘だった、とひと捻りするところはいただけない。
作者としてはヒューマンドラマを避けたかったのだろうが、作劇の策が目立って名演を台無しにしていますよ
Kujiruーくじるー 大下志穂 4分6秒
水中のシャボン玉を思わせる水玉がふあふあ漂い、海底の楽園を漫遊するラブリーなアニメーション。
手描きの素材にCGアニメを付けたという素朴なタッチが、人といわずモノといわず破壊がメインストリームになったこのところのアニメの中で(決して達者ではないけれど)こういうささやかな自分の世界を愛でている作品に出会うとほっとさせられる。
虹のような珊瑚や、横倒しになったちっちゃなトトロみたいなキャラクターが光に向かってぐんぐんと登ってゆくところとても良かったよ。
次回作は、手描きとCGのさらに緊密なコラボレーションを期待しています。
竹岡さんへの手紙 安田哲 10分
桜並木の下で上半身裸の作者が、カメラに向かって語りかける。
竹岡さんという人(たぶん女性)へ向けたビデオレターだ。
月日の後に大学のゼミで那須に来ているという説明があり、それではさようなら、と終る。
ほかに言うことないのかよ!と突っ込みを入れたくなるような素っ気なさが、ゼミの仲間と風呂に入っているときも、隅田川にきているときも、仲間と遊んでいるときも、変らぬ素っ気なさで続くので次第に可笑しみが湧いてくる。
じつに間抜けたビデオレターなのだが、これが作者の誰にもない持ち味なのだろう。
宛先の竹岡さんは実在してるのだろうか?
走りて睦月 醜悦舎 9分34秒
朝、目が覚めたら毒虫ならぬ天狗になっていた!で始まるカフカのようなナイトメアー。
天狗になって森をさまよっていると、なぜかセーラー服のキツネに誘われ神社にやって来る。
といってもそのまま幻想世界が展開するわけではなく、町の公衆電話から指令がきたり、キツネから油揚げスープをもらったり、一筋縄ではいかないとっ散らかったイメージが連鎖するのだ。
作者たちが面白いと感じるイメージの連鎖劇とでも言おうか。
ほどほどにまとめる気などないようなそのエネルギーに 圧倒される。
ほどほどのドラマの怠さを突破しようとした作者たちの冒険に乾杯。
僕のブログを見てください 西野孝宏 5分15秒
これからはブログの時代だ、とばかりにウェブログを開始する青年の話。
「僕の朝はマックでコーヒー」と日常を綴ってみるが「これじゃダメだ」と、捨ててあった牛丼を拾い食いして吐いた(笑)体験を綴る。
ブログをもっと面白くしようと麻薬取引現場を撮影して見つかりあっさりと刺されてしまう。
死の瀬戸際で懸命にブログを打つというラストだが、「これじゃダメだ」と撮影をやり直し、それでもダメならさらにリテークを続けるというふうに、作品づくりを何度もやりなおすという現実の側を描いたほうが良かったかもね。
無理に物語りをつくる必要はないんだなぁ。
魚に似た唄 竹内泰人 4分56秒
はりぼてアニメとでもいおうか。
人形アニメの場合おおむねミニチュアのセットに縮小した人形で撮影するのが常であるが、この作品は実際の室内に巨大な人形を配置して撮影されている。
主人公(人形)の周囲 を飛び交う魚は、吊るしているワイヤーがみえみえだが、ちまちましないおおらかさがこの作品の身上だ。
魚が主人公の口の中に飛び込むと部屋全体が黒い霧に覆われ、水玉模様が室内に拡がる。
これは室内を塗り替えながら撮影されたのだろう。
草花と魚が溶けて赤い玉になったりする細かい芸もある。
スケールを越えたダイナミックな発想に拍手を送りたい。
一枚の写真 島根大学言語文化学科 映画演習チーム 7分7秒
主人公タクヤは写真に熱中する大学生。
下宿の娘ミツキはタクヤに思いを寄せている。
ミツキは思いきってデートに誘うけれど、タクヤはデート先の海でも写真ばかり撮っている。
そんなタクヤがある日交通事故で亡くなってしまう。
やがてミツキが大学へ入り写真部の部室を訪ると、海で撮った彼女のポートレートが飾られていた…!なんと古典的なと笑わないでください。
チームでドラマをつくろうとすると個人的な意見が平均化されてしまう。
譲り合ったあげく無難なセンに落ち着く。
次回は作者たちの等身大のスクールライフにひきつけたドラマを期待していますよ。
伯耆富士 吉野和彦 5分
妻の実家の窓からは真っ正面に聳え立つ大山が見える。
いっぽう夫の故郷信州の山からは霊峰富士山が見える。
作者夫妻のそもそものなれ初 めはまるで赤い糸でつないだようにこの二つの山が縁となっていた。作者はそこにぴったりと照準を合わせて作品を編集している。
家族のドキュメンタリーというとしばしば出来事の羅列になりかねないけれど、作者は富士山と大山という二人をつないだきっかけを作品の芯に据えているんですね。
結婚前の若々しい姿。
大山に登山したとき羽田で結婚を決意したエピソード。
新居の窓から見える富士山。ほのぼのとさせられましたよ。
ごっこ、フリーマーケット 村松浩造 9分
子供のフリマ遊びに密着したホームドキュメンタリー。
子供を撮るというのは難しい。
絶えず動き回るのでカメラはその後を追いかけるだけで精一杯。
結局うしろ姿しか撮ることができなかった経験は誰にもあるだろう。
そこで作者は室内で遊ぶ子供に狙いをつけた。
さりとて演出を挟むわけではない。
無心に遊ぶ子供たちの姿にカメラがぴったり寄り添うのだ。
これは簡単のようで難しい。
子供がカメラを意識してしまうからだ。
いつも子供を向いてるのだろう村松さんのカメラを子供たちは意識せずに自分たちの世界に没入する。観ていて思わず頬がゆるむ子供の世界だ。
長い道 柴田常夫 6分30秒
白髪の老人が田舎道を歩いてくる。
「わしもずいぶん長いこと歩いてきたもんじゃなぁ」内心の呟きがナレーションで入る。
川のほとりで一服つけると「川の水は休まずによく流れているなぁ」桜の樹の下では 「桜を見ていると昔を想い出すなぁ」画面に描かれていることにナレーションを重ねる必要はない。
言葉はなくとも散歩する姿を見ているだけで、これまでの人生を回想しているだろうことは伝わってくる。
そういう存在感がこの老人には備わっているのだ。
その一歩一歩をたんたんと捉えるだけで、言葉以上のものを映像は伝えてくれる。映像の力を信じて下さいね。
たなピーの東京レポート 米子高専 放送部
高専放送部がNHKの高校放送コンテスト全国大会に参加することになった。
ラジオ部門とテレビ部門のダブル入選だった。
NHK杯をめざして東京へ出発した放送部の人気者「たなピー」が送るいきいきレポートだ。
「東京へ来たからには楽しみたい」といいながら原宿竹下通りではなく都庁へ。
たなピーには都知事という概念がない「米子でいうと村長さんがいるところ」とズッコケたり、東京タワーは終戦を記念して建てられたと笑わせる。
引率の先生も自然体のたなピーを矯正しないで自由にやらせている。そこのところがこの作品の生きいきとした 魅力にほかならない。
よなご映像フェスティバル2010講評・・・冨岡邦彦(映画プロデューサー)審査員
アニメからドキュメンタリー、実験映画、テレビのレポートまでバラエティ豊かな作品群なので選考には困りましたが、受賞作以外も含めて私が 特に気になったのは『走りて睦月』と『dance』そして『伯耆富 士」の3作品です。
『走りて睦月』は猟奇殺人と仮面を題材にして結びつけた劇映画 作品ですが、魅力的なスタートを切りながら、作り手が最後をどのように落としていいのかはっきりしていないのが残念です。
他の劇映画にも 言えることですが、最初のアイディアからの発展、物語の展開で魅せるということを考えていただければいいのでは? というのを痛感します。
しかし中でもこれは可能性を感じた作品でした。実はグランプリの「九月の鼠」にも同じ事が言えるのです。
一方『君への切符』や『僕のブログを見てください』『clover』などは設定がわかった瞬間に終わり方も見えてしまいますし、その間にひねりがないのが残念です。
5分以上10分未満の作品なのですが、たとえば CMの映像は30秒でわからねばなりませんが、5分から10分になれば、やはり「物語」が必要になってきます。
かつて映画が誕生した 1895年から1910年あたりまでも同じことが起こりました、1910年つまり今から100年まえにはまだ映画は10分ほどの長さでしたが、1908年のグリフィス監督の登場以後、物語が映像を牽引するものになりました、その後紆余曲折はあったにせよ、10分を 魅せるためには特に劇映画では物語は不可欠になります。
一方実験的な作品の中で目立ったのは手法的にはけっして新しくはなかったけれど、ミニマル・シネマの流れから生まれた『dance』や個人映画や日記映画の流れを感じさせる不思議な『竹岡さんへの手紙』にはかなり惹かれたし、物語のある作品を積極的に押していながらも、こういった作品が物語を揺すってくれる映像の力の原点なんだと、あらためて感じさせてもらえた。
それから『伯耆富士』は一見、懐かしのホームムービーのような趣きだが、大山と富士山、長野と鳥取を結ぶ夫婦という奇妙だが誠実な感性を感じさせてくれた。
残念なのはなにせ5分という短さとそれぞれの関係をナレーションで聞かせてしまったことでしょう。
もっと長くして観客への情報提供の順序を考えれば、かなり面白く、目新しい作品になったのではないかと惜しまれました。
いずれにせよ、年齢を越えて映像と映画の捉え方がまだまだ可能性があるのではないだろうかという考えが頭をよぎったのです。
よなご映像フェスティバル2010講評・・・・・松本薫(作家)審査員
昨年に続いて二回目の審査でしたが、今年は応募数が多く、半分くらいが落選になったと聞きました。
実際上映された入選作品はこれまで以上にレベルが高く、いわゆる素人っぽい作品はほとんどありませんでした。
技術的なクオリティが上がっているし、作品を作るときの世界観のようなものもしっかりしているも のが多かったです。
とくにグランプリに輝いた「九月の鼠」は、映像の美しさ、細部のこだわりといった点で際立っていました。
話が今ひとつ分からなかったところもあるのですが(笑)、それを差し引いても印象は強かったです。
準グランプリになった「魚に似た唄」は、アニメーションですが、グランプリと同じくらい水準が高かったと思います。
実物大の人形を作るという発想は、CG全盛の時代にあって新鮮でした。
優秀作の「走りて睦月」、前半はとにかく面白く、油揚げが実は人肉だったというところなど秀逸。
会話でなく文字テロップを使ったところもよかったと思います。
ただ後半になると、無理に説明しようとして安易な方向に流れた気がしました。
同じく優秀作となった「竹岡さんへの手紙」は、スタイリッシュな作品が目立つ中、こんなんでも映像作品になるんだ~と思わせてくれる楽しさがありました。
かわなか賞の「たなピーの東京レポート」はキャラクターの勝利でしょうか。
初めて東京を見た生の声が面白く、新鮮でした。
賞にはもれたけれど印象に残った作品として、「dance」「トントントン」「君への切符」「Kujiru―くじる」「僕のブログを見てください」「伯 耆富士」がありました。
「君への切符」の監督さんは昨年も出品されていましたが、エンターテイメントとしての質が、昨年よりずっと上がっていると感じました。
「僕のブログ」も、ブログにのめり込んだ男の末路をブラックユーモア風に描いていて面白かったです。
「トントントン」は携帯で撮影した作品だそうです が、温かい質感が印象的でしたし、「Kujiru」は透明感のあるアニメーションで、好きな作品でした。
このような質の高い作品がそろった一方で、「えっ?」とか「これは!」というものが、正直昨年までにくらべて少なかった気がします。
どこか既視感があったり、肉薄してくるものが乏しかったり……すみません、偉そうなことを言って……。
技術的な精度が上がるということは、そういうことなのかもしれません。
細かいことで言えば、ここでこのナレーションがなければ、ここでこの音楽がなければ、と感じた作品が少なからずありました。いかにもなナレーションや音楽は、感興をそいでしまうことがあります。
そしてステレオタイプに陥らないためにも、映像の世界だけでなく、文学や絵画、音楽、また社会の出来事などにも 目を向けてもらえたらと感じました。
それにしても、高校生から年輩の方まで、また遠方は海外から作品が集まった今回のフェスティバルは、外に向けてもかなり誇れる内容だったと思います。
来年はさらに充実した、そして親しみやすいフェスティバルになることを願っています。応募者の皆様、実行委員会の皆様、ご苦労さま&ありがとうございました!








